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PUBG元ネタ映画『バトルロワイヤル』を見た感想 とPUBGの感想

「クラスメイトの内1人しか生き残れない」という設定が分かった時点で最後の結末を見ずにはいられない気分になったので、設定の段階で勝利している作品だとおもう。
1人しか生き残れない設定はそのままPUBGというサバイバル系オンラインゲームにも引き継がれている。このゲームは最後の1人になるまで生き延びた者が勝ちで他にルールはない。ずっとどこかに身を隠していてもいいし、銃を奪って殺戮を楽しんでも構わない。この自由かつシンプルなルールがPUBGとバトルロワイヤルの設定の独自性であり面白いポイントだと思う。
 
ゲームであるPUBGの方では誰か一人の勝者を決めればよいが、映画であるバトルロワイヤルはどのような結末を迎えるのか。
主人公の男はヒロイン的女性と一緒に行動を共にして支え合って生き抜こうとするが、制限時間終了時点で生存者が2名以上いた場合は全員死亡というルールなので、少なくとも主人公かヒロインの内どちらかの死は確定している。途中から協力的な仲間も加わり、最後に誰がどう裏切るのか、それとも全員で手榴弾でも使って自害するのか、結末が見ものとなった。
 
しかし、結末はルール破壊による全員の救済だった。
主人公らに取り付けられた爆弾付きの首輪が解除されルールの強制力が失われる。続いて、殺戮ゲームを指揮していた悪者代表的なヤツを主人公らがやっつけて普通に終わった。
もしハッピーエンドにするなら、それしか選択肢はなかったのかもしれない。
 
自分ならハッピーエンドにこだわらず、この作品の一番の独自性である「これまで仲間同士だった者の内、一人しか生き延びることができない→裏切りの強制」という設定をもっと活かすような展開が見たかった。
人間の醜い本性を生々しく描くのにこれ以上に絶好のシチュエーションはなかったと思う。
 
特に、協力から裏切りへの転換は、安心感から恐怖感、信頼から絶望へと真逆の方向への心理的変化があり、ジャイアン効果やツン→デレ転換にも見られるような、強力なギャップ効果が得られたのではないかと思う。
 
この不満は、そのままPUBGへの批判にも当てはまる。
PUBGのソロプレイモードでは、100人の見ず知らずの人が最後の1人になるまで生き延びるというルールだが、「協力」という要素が完全に抜け落ちている。
協力しようと思えばできなくはない。PUBGではボイスチャット機能をゲーム内に標準搭載しており、近くにいるプレイヤーには誰にでも話しかけることができる。なので協力しませんか?と話しかけてやろうと思えばできるし、それを禁止するルールも存在しない。
しかし協力するインセンティブの設計が不十分であるため、基本的には相手を見た瞬間に殺すことが当たり前の殺伐とした世界になっている。せめて、1ゲームの命の重みを重くすれば、自然と協力しようとする者が現れるとも考えられるが。。
 
もし協力が自然発生する場合、必ずどこかで裏切りも生じる。
序盤は協力した方が有利だとしても、ゲームの最後には1人しか生き延びれないルールなので、どこかで裏切りが発生する。その協力から裏切りへの変化の瞬間や、裏切りの気配を予感したりするスリルは想像しただけで面白い。
 
あるいは、協力する内に相手に愛着が湧いて、当初の予定通りに裏切ることができない場合もあるかもしれない。
それを示す良い例がすでにある。PUBGゲーム配信動画で最近見たのだが、最後1対1になって、冗談混じりに相手に話しかけたところ、会話が始まり仲良くなってしまった。最後は相手への愛着から殺すことができず、2人そろって手榴弾で自害するという結末を迎えた。たった数分ほどのできごとだったし、見ず知らずの相手だったが、それでも人は相手と会話をすることによってここまで情がわいてしまうということなのだろう。
ゲームで勝利できなくても、そのような心の動きが起こること自体が面白いし、興味深いことだ。PUBGのルール設計者が、もし自然な協力(と裏切り)を促せば、このようなドラマがもっと生まれるに違いないと確信している。YouTube映ろえもすると思うし、そういう動画は見てみたい。