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メイドインアビスを見た感想|嗚咽がでるほどの感動はどのようにして生み出されたか

とにかく最終話の感動が凄まじく嗚咽がでるほど泣いてしまった。嗚咽を出して泣くのは小学校低学年以来だったので、まだ自分の身体が嗚咽を出して泣く能力があったことに驚いた。

 

それほどまでに感動させたこの作品は、他の作品の感動とは一体何が違うのか。
記憶が鮮明な内に、その理由について考えてみたい。

 

感動の絶頂はミーティーとの死別シーンで、ナナチの「待って!」のところで完全にやられた。他の人の感想を見ても同じところでやられている人は多い。
このシーンを初めて見たときの印象はとてもよく覚えている。仲間との死別を悲しむ葬式的なムードで「まあ仕方ないよね・・・」的な落ち着いた悲しみのムードだったが、いざ火葬で葬ろうとしたその瞬間に、突然それまで穏やかだったナナチが、これまで聞いたこともないような大声で「待って!」と叫んだ。その大声を聞いて、一瞬何が起きたのかと驚いたが、直後に、ナナチの本当の気持ちがどうしても抑えきれずに出てしまった声なのだと理解するや、涙が止まらなくなってしまった。(これを書いている最中もまた思い出して泣いてしまった。。)(YouTubeのReaction動画を見ても同じような反応が多く、「待って!」の絶叫に対してまずはみな一瞬止まって驚き、それから状況を悟ってやりきれないといった反応に移っている)
それはたった数秒の超細かい演出だったが、その時のナナチの感情のリアリティと、キャラ崩壊のギャップ効果は過去に見たどんなアニメよりも大きいものだった。ナナチはもともと冷静キャラで、どんな状況に置かれても理性を失って叫ぶ姿は想像できなかった。そのキャラを完全に崩壊させてガン泣きさせるという超特大のギャップ効果。

もちろん、いくら作画や声優演技などの表面的な演出だけでギャップを作ったとしても、実態に即したリアリティのある感情でなければ違和感や過剰な演出に見えてしまう。ではナナチがガチ泣きするのに十分な根拠とはなんだったのか。

 

それはミーティーの死の特殊性からくる、ナナチの抱える大きな葛藤だったのではないかと思う。
ナナチの一番の望みは、ミーティーを救いたいという点。これに対し、ミーティーは不死身の呪いを受けているので今殺さなければ永久に苦しみ続けなければならない。2つの選択肢が互いに相反し、一方を取れば他方の損失が極大となるような選択肢に立たされている。
こういう状況は普通は考えにくい。現実世界でも「家族を安楽死させるかどうか」という選択肢が近いのかもしれないが、人間は必ずいつか死ねる。それと永遠に死ねないのとでは訳が違う。しかもミーティーは穏やかに暮らしており、生かし続けることは十分に可能なので、あえて殺めるには相当の精神的苦痛を必要とする。
永遠の命が存在する世界でのみ存在する悩みであり、生と死の肯定性が逆転し得る世界だからこそ、その狭間に置かれたナナチに巨大な葛藤を与えることが可能となったのかもしれない。